派遣から社員になったことがある
小泉内閣の頃
実店舗の売り上げが芳しくなく、
ネット販売に切り替えていた。
仕事を探したいたところ
なじみのお客さんから派遣を紹介された。
彼も派遣で働いていたので即、派遣会社へ。
一日派遣ですから携帯に明日の仕事場を指示される。
その仕事が終わると夕方に明日の職場を指示される毎日
連絡がこないと仕事はない
時給は800円きつい仕事は1000円
後で知るのだが派遣先の会社は派遣会社に1人に1500円出している。
と言う事は1500-800円で700円を1000円の場合は500円を懐に入れていたのだ。
無茶ぶりが結構ある、夕方に連絡が来るのだが夜中の3時からの仕事の
指示があったりした。
3時からの仕事は関東エリアから運ばれてくる内装備品の仕分け作業、
4時間程度の仕事、
職場まで1時間かかるので2時には家を出る。
結構自分的には気に入っていた。
ちょうど中越の地震があった頃で建築現場でボード運び、これはきつかった。
新築の内装の備品を運搬でのトラックの助手。
運送会社の事務の仕事が定期ではいった。
事務をしながらレンタルハウスのメンテナンス作業やペンキ塗りを半年
世間では派遣切りで炊き出しとかニュースになっていた。
新潟でも駅で炊き出しがあった。
小泉内閣で派遣会社の一日派遣が禁止になった。
半年後、そこで、社員になった。
業務拡大でタイミングがよっかたのだろ。
サラリーマンになった。
社員になっても派遣の時とそう変わらない給料だった。
事務仕事をしながらハウスのペンキ塗り、昼休み1時間は当たり前だが
午前中に30分、午後も30分、時には1時間の休憩があった、仕事は楽しいが
あまりにも休憩が多すぎる、職場の連中は事務所で煙草を吸うから
吸わない俺にとっては地獄、だから休憩しないで外で掃き掃除とかして
時間をつぶしていた、ふと、思ったね。
歯車になっている。
歯車が嫌で会社を辞めたはずなのに流されていた。
ちょうど半年で辞表を出して辞めた。
20歳そこそこの社員に敬語で対応も飽きてきたころだったし、
まあ、社会勉強ができたし人生経験ができたことはありがたかった。
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